NHK大河ドラマ「真田丸」第2回「決断」にて、放送の最後に「真田丸紀行」で紹介された岩櫃城跡に行ってきました。
この記事では岩櫃城跡のインフォメーションや実際に最寄駅から歩いたルート、ゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。
乱世の戦国。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。
群馬県東吾妻町。上州にも広がる真田領・要の地です。上田から続くこの道は地元の人々から真田道と親しまれています。この地にそそり立つ岩櫃山。厳しい岩肌に守られた天然の要塞は今もその姿を留めています。昌幸は劣勢となった勝頼にこの城に籠るよう進言します。しかし勝頼は岩櫃ではなく岩殿城へと向かいます。そして織田勢に追い詰められた勝頼は、ついにこの地に来ることなく自害します。甲斐の名門・武田家の滅亡は真田家の運命を大きく動かすこととなるのです。
NHK大河ドラマ「真田丸」 真田丸紀行「岩櫃城跡(群馬県東吾妻町)」
インフォメーション
・入山料:無料
・住所:〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町1965-2
・開山時間:24時間
・休業日:なし
・JR「群馬原町」より徒歩40分
・群馬原町駅は無人駅のため、乗降時の運賃精算には十分ご注意ください
・岩櫃山の登山の際、熊対策を行って下さい
目的地までのルート
- STEP1群馬原町駅

吾妻線の電車に揺られ到着しました群馬原町。いつもどおり改札を抜けて…。

お気づきでしょうか。群馬原町駅は無人駅のため、改札が無く駅員もいません。乗降時の運賃精算には注意が必要です。

私は高崎駅からスマホタッチ(Suica)で乗車したのですが、群馬原町駅はICカードが使えない為、降車前に車内で車掌に声を掛けて運賃精算して貰う必要があります。知らずに電車に揺られウトウトしていたら車内アナウンスが流れて気づきました。あぶなかった~。

外へ出ると広々とした駅前と新鮮な空気が出迎えてくれました。

駅前ですぐ右折して道なりに歩いていって下さい。
- STEP2吾妻線 沿線

吾妻線の線路沿いに進みます。舗装されていない土道がノスタルジー。

つきあたりを右に踏切を渡って下さい。

左側に案内板が見えますね。

「岩櫃山岩櫃城址 直進」。つまり左折して直進です。

少しずつ山の緑が近づいてきた気がします。道なりに歩いていきます。

道に傾斜が出てきましたね。山近し!
- GOAL岩櫃山・岩櫃城跡入口

岩櫃山および岩櫃城跡入口に着きました。最終目的地はまだ先ですが一旦のGOALとさせて頂きます。さあ、「岩櫃城本丸址」を目指しましょう。
岩櫃山・岩櫃城跡入口

歩きながら岩櫃山の風景を撮影していたら、前方からワンちゃんを連れたおば様が歩いてきて、「いい天気でよかったですね」と穏やかな口調で声を掛けてくれました。山の上にご自宅があるんですかね。
見知らぬ土地で互いに会釈し、一言二言言葉を交わすのも旅の醍醐味。”袖振り合うも他生の縁”と言いますし、こういった出会いや交流はいつまでも大事にしたいですね。

この日の群馬(5月)の気温は25℃。日差しがあると暑い…。

日陰はひんやりと気持ちいい。無理せずゆっくり行きましょう。車やバイクに追い抜かれながら登っていきます。もしかして歩きで観光に来ているのは私だけ??

おっと、分かれ道です。もちろん左側「岩櫃山 岩櫃城跡」の方に進みます。

「国指定史跡・続日本100名城」にも名を連ねている岩櫃城。
この城は「真田丸」の第1回放送から物語の重要なキーとして登場しました。

「岩櫃山平沢登山口観光案内所まで 約1.2km 徒歩 約30分」。まだ先は長いですね。
「真田丸」の物語は甲斐の名門・武田家が滅亡の危機に瀕しているところから始まります。武田家の当主は、父・信玄の後を継いだ武田勝頼(たけだ かつより)。織田の侵攻と家臣の造反により追い詰められ、再起のために家臣の居城へ落ち延びる決意をします。落ち延びる城の候補は二つ。小山田信茂(おやまだ のぶしげ)の居城・岩殿城と、真田昌幸(さなだ まさゆき)の居城・岩櫃城です。どちらの居城へ逃亡するか二択を迫られ、その選択が文字通り命運を分けるのですが、果たして勝頼の決断は…!

…そういえば、岩櫃山は「厳しい岩肌に守られた天然の要塞」と表現されるように、もっと山肌がむき出しになっているイメージですが、私がいる場所からは見えそうにないですね。ちょっと残念。

ちなみに上の画像はフリー素材の岩櫃山です。そうそう、このイメージです。

この厳しい環境にそびえ立つ岩櫃城は、昌幸曰く「鉄壁」。

そして「東は沼田城、西の砥石城、信濃と上野(こうづけ)を結ぶ道筋そのものが巨大な要害となる」と言われ、まさに真田にとって”要(かなめ)”となっています。

さっきの分かれ道から20分ほど歩いてきました。

「岩櫃山平沢登山口観光案内所まで 約0.4km 徒歩 約10分」。あと少し!

日差しが暑っちぃ~…!

岩櫃山登山口は、左ですね。

お、このタイミングで日陰は嬉しい。

…と思ったらすぐに日なたへ(苦笑)。

さっき追い抜かれたバイカー達が駐車場に居ましたね。車で行けるのはここまでか。

平沢登山口観光案内所に到着しました。一旦、第2のGOALとしましょう。最終目的地「岩櫃城本丸址」はまだ先。頑張るぞ!
平沢登山口観光案内所

時刻は15:49分。スタッフの方の様子を見る限り、案内所の営業時間は16:00で終わりのようです。

とりあえず記念にガイドマップをゲットしました。

岩櫃城跡の説明版がありました。へー、岩櫃城は築城時期や築城者については定かではないんだ。ミステリアスですね。

さあ、ここからは舗装された道ではなく、ガチの登山道です。気合入れて行くぞ!
岩櫃城本丸址

さっそく道が二手に分かれてました。「岩櫃城本丸跡」は左ですね。

インフォメーションの注意事項にも書かせて頂きましたが、岩櫃山の登山の際、熊対策を行って下さい。公式ホームページのお知らせ等をご確認下さい。

途中で登山者の方と挨拶を交わしました。映画館やレストランといった日常の場では、同じ趣味を共有していても他人同士で声を掛け合うことはまずありません。しかし登山では、誰もが当たり前のように挨拶を交わす。そんな山ならではの健全な交流が、とても心地よく感じます。

「中城跡(なかじょうあと)」です。

”「中城(なかじょう)」とは、一般的な日本のお城(本土の城郭)の構造において、中心部を囲むエリアを指すことがあります”

”防御の第2ラインとして、本丸(中心部)と外郭(一番外側)の間に位置し、敵が本丸に侵入するのを防ぐ「クッション」のような役割を果たします”

”有事の際に兵を待機させたり、重要な物資や武器を保管したり、家臣や施設の収容スペースとして使われました” …とのことです。AI(Gemini)は便利ですね(笑)。

そんなこんなで道が険しくなってきました。伝わりにくいですがかなりの急勾配です。ひぃ~!

岩櫃城本丸跡まで「250m」か。近づいてきた。

休憩用のベンチかな? 休みたい気持ちを抑えて先を急ぎます。

階段見っけ! もうすぐそこの予感がします。

階段を駆け上がりGOAL! …と思いきや、逆光でわかりづらいですが「二の丸跡」でした。本丸はどこー?

この雄大な自然を見て深呼吸。 落ち着くためにドラマの話でもしましょうか。
岩櫃と岩殿。どちらの居城へ行くか悩む勝頼に対し昌幸は力強く叫びます。
昌幸「この真田安房守(さなだあわのかみ)がいるかぎり武田は滅びません!!」
この時の迫力。そして説得力。この言葉に勝頼は岩櫃城へ行くことを決断します。いやぁ、こんな頼もしい言葉を投げかけられては心動かされますよね。

こんどこそGOAL! ここが本丸のはず。

「岩櫃城本丸址」の碑がありました。ここが正真正銘、岩櫃城の本丸です!

「岩櫃城由来記」。岩櫃城の由来が記されてますね。何々…。
『~昌幸が相続しました。その後、昌幸の長男信幸が支配し信幸の弟幸村も少年時代をこの城で過ごしたといわれています。』
真田丸1話の件は触れられていないですね。文字通り、歴史の狭間に”ドラマ”あり?(笑)。

「竪堀(たてぼり)」。真田一族かそれ以前の城主か、地形を利用して敵を撃退する工夫が垣間見えて、ぞくぞくします。

その他、付近には潜龍院跡(せんりゅういんあと)と呼ばれる昌幸が勝頼を迎えるために建てたとされる館の跡地があるのですが、帰りの電車時間が迫っているので行くのはやめようと思います。奇しくも勝頼と同じ判断をしてしまいました。

勝頼「昌行には悪いことをした…。」
そう。勝頼は昌幸の待つ岩櫃城ではなく、小山田信茂と共に岩殿城へ向かう最終決断をしました。その選択が武田家滅亡への決定打となってしまうのでした。
「甲斐を捨てられない。父上が築いたこの甲斐を」と言い、岩殿へ向かった勝頼。まさか2話目で死んでしまうとは思いませんでした。敵方の家康からも「愚鈍な男ではなかった」と評された勝頼には、もっと生きていて欲しかった。三谷ドラマは優しく描かれる人物が早々に退場することが多いので辛いですね。
その他ギャラリー
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最後に

夜はビジホで温泉に浸かってまったり。
岩櫃山はハイキング気分で行ったら、意外と本格的な登山ポイントがあって驚きました。帰りは電車の時間に間に合わせるため、20分ほど駆け足で下山。プチトレイルランニング状態でしたが、無事に間に合って「普段から走っていて良かったな」と苦笑いしてしまいました。
とらせいでした。




















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