NHK大河ドラマ「新選組!」第47回「再会」にて、放送の最後に「新選組を行く」で紹介された勝沼古戦場跡に行ってきました。
この記事では勝沼古戦場跡のインフォメーションやゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。
動乱の幕末。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。
慶応4年(1868年)3月1日。甲陽鎮撫隊と名を改めた新選組は、新政府軍の侵攻を阻止する為に甲府城に向けて進軍しました。道中、近藤は故郷の調布に立ち寄ると西光寺の近くで休息し、若宮八幡宮に向かって戦勝祈願をしたといいます。この時、土方は断髪し洋装姿になっていました。これは鳥羽伏見での敗北で旧式の軍備に見切りをつけた為と言われています。3月6日、甲陽鎮撫隊は甲府手前の勝沼で新政府軍と交戦します。しかし、圧倒的な戦力の違いから僅か2時間で敗れ去ったのです。勝てば大名と言われた近藤勇でしたが、甲州勝沼の戦いでの敗北によって武士の時代の終焉を身をもって実感したのです。
NHK大河ドラマ「新選組!」 新選組を行く「甲陽鎮撫隊敗れる」
インフォメーション
・入場料:無料
・住所:〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼
・開場時間:24時間
・休業日:なし
・JR「勝沼ぶどう郷」よりバス「上町」下車
・中央自動車道 勝沼ICより5分
・周辺に駐車スペースはありませんが、路上駐車は厳禁です
勝沼古戦場跡
勝沼古戦場跡(柏尾古戦場跡)。中央自動車道の途中、近藤勇の像がひっそりと佇んでいました。
像はどちらかというと等身大ではなく少々デフォルメされているんですね。
近藤「もう後は先に進むしかない。振り返るのはもう少し先に取っておこう」
甲陽鎮撫隊を率いて甲府城を目指した近藤のいでたちは、もう新選組の羽織ではありません。ドラマを観ていた時は「もう新選組はないんだなぁ…」と、少し寂しい気持ちになったのを覚えています。
羽織と言えば、緑色の羽織を着た「菜葉隊(なっぱたい)」を名乗る隊士が劇中に登場しています。演じたのはお笑い芸人のビビる大木さん。大木さんは当時のコント番組で「はっぱ隊」というコントをされていたので、菜葉隊士に抜擢されたのでしょうか(笑)。
しかしこの菜葉隊。ほのぼのとした名前とは裏腹に隊士の数は1,600と近藤も唸るほどの規模でした。…が、近藤らと共闘を誓ったはずが、いざ甲州勝沼の戦いが始まると菜葉隊は姿を現さず、甲陽鎮撫隊が救援をもとめても援軍に来ることはありませんでした。
戦況が厳しい中、会津へ行こうという永倉新八の進言を突っぱね、戦場に留まることに固執した近藤。意見の相違から、試衛館時代からの盟友、永倉・原田と袂を分かちます。こうして甲州勝沼の戦いは、新政府軍に大敗を喫し幕を閉じました。
石像の傍らに石碑がありました。「柏尾戦争を伝える資料」。
そして「柏尾の戦い」。
かなり詳細に戦の様子が書かれています。幕末は具体的な情報が残っているので臨場感がありますね。
こんな石碑が点々と並んでいます。
奥まで行ってもまだ先がありました。
坂を下って…。
ここで行き止まりですね。その他の石碑の内容については後段の「その他ギャラリー」をご覧下さい。
この地で戦があったのが1868年3月6日。近藤が処刑されたのが同年4月25日。この間、2か月もなかったんですね。
さて、近藤勇像まで戻ってきました。…おや?
台座の側面に説明文が。うっかり見落としてました。
『官軍の前に敗れ敢え無く敗走』…。圧倒的な戦力差。来ない加勢。そして旧友との別れ…。近藤の窮地がありありと伝わってきます。
たまたま別角度で撮影した遠目からの近藤像ですが、偶然にも周りの蔦(ツタ)に全身を絡めとられているように見え、まるで近藤の窮地を模しているような一枚になりました。それでもキッと力強く前方を見据えているのは近藤らしいですね。
近藤「俺は負けるための戦はせん。こうなったら死力と尽くして戦うつもりだ」
「そう易々とあいつら(薩長)に天下は渡さない」
幕府から見放され、江戸から遠ざけられても己の誠を貫く近藤勇の姿が、ここ甲州勝沼にありました。
甲府城
甲陽鎮撫隊が目指し、先に官軍に入城されてしまった「甲府城」にも寄ってきました。勝海舟曰く、甲府城は「徳川家の西の守りの要」とのこと。さて楽しみです。
天守は無く、石垣(天守台)を残すのみとなっています。芝が手入れされていて綺麗ですね。
天守台からの眺め。
海舟「勝ったあかつきにはな、やるよ甲府城。好きに使っていいぞ」
もし甲陽鎮撫隊が勝っていれば、この眺めは近藤の物だったのかもしれませんね。
向こうに一際大きな碑が見えます。行ってみましょう。
近くで見るとかなりの大きさです。記念碑でしょうか。
ひ、おん、しゃ…? あ、逆か。…謝恩碑(しゃおんひ)と読むようですね。1922年(大正11年)に建設されたものだそうです。
近藤にとって、人生の分岐点の一つとなった甲府城。
海舟「あいつ(近藤)には甲府で死んでもらわねぇと困るからさ」
ドラマでは勝海舟が望んでいることを悟っていた近藤ですが、勝てば大名と言われた史実の近藤勇はこの甲府の地で何を想ったでしょうか。
牛奥ノ雁ケ腹摺山
ゆかりの地巡りに合わせて友人と「牛奥ノ雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま)」(1,990m)に登ってきました。なんかすごい名前(笑)。日本で最も長い名前の山らしいです。
空を飛ぶ鳥、雁(がん)が腹を擦るぐらいの高さという意味みたいですね。勉強になりました。
パノラマ岩。この上に乗って辺りを眺望できます。
おおー。南アルプスがバッチリ見えますね。これは頂上からの景色も期待できます。
途中、変わった木々がありました。自然現象なのか人工的なものなのか、不思議な光景ですね。
そして登頂!
この日は快晴。冬シーズンは空気が澄んでいるので綺麗に富士山を見ることができました。一昨年、富士山の登頂に成功しましたが、外から見る富士山もやっぱり良いですね!
雄大な景色に思わずテンションの上がるとらせい(笑)。
その他ギャラリー
※画像をクリックすると拡大できます。
最後に
甲府駅前に「武田信玄像」がありました。
こう言っては誤解があるかもしれませんが、駅前の往来で堂々と座している信玄像に対し、勝沼の近藤勇像はひっそりと佇んでいて、その対比に何かグッとくるものがありました。「敗れ去ったものの哀愁」といいますか、それも我々を惹きつける近藤勇と新選組の魅力なのかもしれません。…判官贔屓かな?
最後は山梨名物のほうとうで舌鼓。豚肉ほうとう、めちゃくちゃ美味しかったです!
とらせいでした。
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