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【新選組を行く】ゆかりの地 松平容保の墓(院内御廟)/近藤勇の墓(天寧寺)

新選組

NHK大河ドラマ「新選組!」第19回「通夜の日に」にて、放送の最後に「新選組を行く」で紹介された松平容保の墓(院内御廟)近藤勇の墓(天寧寺)に行ってきました。

この記事では松平容保の墓(院内御廟)と近藤勇の墓(天寧寺)のインフォメーションや実際に最寄駅から歩いたルート、ゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。

動乱の幕末。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。

新政府軍の会津征伐に敗れ自害を図った20名の白虎隊の少年隊士たち。その悲劇を見届けたのは会津藩九代目の藩主、松平容保でした。京都守護職だった容保は藩の家訓に記されているように幕府に忠誠を誓い、その一方で孝明天皇からも厚い信頼を得ていました。容保は近藤亡き後の新選組を率いる土方と共に新政府軍と戦いました。累々と横たわる会津藩士たちの亡骸は翌年の雪解けまで埋葬することが許されなかったといいます。松平家墓所の近くに近藤勇の墓があります。容保の命により土方が建てたと伝えられています。容保は新選組と同様、最後まで幕府に忠義を尽くしたのです。

NHK大河ドラマ「新選組!」 新選組を行く「忠義の藩主 松平容保」

インフォメーション①(松平容保の墓(院内御廟))

松平容保の墓(院内御廟)

・入場料:無料
・住所:〒965-0813 福島県会津若松市東山町大字石山 字墓山甲731
・拝観時間:24時間
・休業日:なし

アクセス

・JR「会津若松」よりバスで34分「院内」下車

注意事項

・松平家塋域入口から墓所までは歩いて15~20分かかります

目的地までのルート①(松平容保の墓(院内御廟))

実際のルート(写真付き)
  • STEP1
    会津若松駅

    会津若松駅の外に出ます。

    駅前の正面を真っ直ぐ行きます。

    「会津バス観光案内所」の看板が見えてきます。

    看板の裏を覗くと…。

    「会津バス駅前観光案内所」がありますので、ここで乗車券を買うことができます。ちなみにチケットを買わずともバス内で電子決済も可能です。

    案内所を回れ右すると「まちなか周遊バスのりば」が見えます。

  • STEP2
    まちなか周遊バスのりば

    まちなか周遊バス」は時計回りに市内を周遊する「あかべぇ」と、逆時計回りに市内を周遊する「ハイカラさん」の2種類があります。

    今回は「ハイカラさん」に乗って行きましょう。

    バスが来ました。レトロな雰囲気の車体と屋根に積もった雪がいい感じです。

  • STEP3
    院内 停留所

    40分ほどバスに揺られて「院内」で下車。

    バス停向かって右手側に歩いていきます。

    左上に「会津藩主松平家墓所→」の案内板が見えてきました。

    会津藩九代目藩主、松平容保(まつだいらかたもり)の解説板もありました。松平容保は「新選組」の名前を近藤らに与えた、物語のキーとなる人物の一人です。ちなみに新選組は「新しく時代を築くもの」という思いが込められています。

    この容保の解説板の右脇の道に進んで下さい。

    前方に雪で覆われた森?山?が見えてきてますね。

    真っ直ぐ進みます。

    何やら石柱のようなものが見えてきました。

  • STEP4
    松平家塋域入口

    「松平家塋域入口」と刻まれています。塋域(えいいき)とは、墓所や墓場を意味します。

    石階段の先に門か柵のようなものが見えますね。雰囲気があります。

    ふと頭上を見上げると雪化粧をした木々に囲まれていました。

  • GOAL
    院内御廟

    院内御廟(いんないごびょう)内に入ってゴール!…と言いたいところですが、ここから松平容保のお墓までは15~20分歩くようです。まだ先は長い…!

松平容保の墓(院内御廟)

枯れ枝に雪が積もって、まるで桜でも咲いているかのような風景。いい写真が撮れました。

道が二手に分かれています。ここで迷ってかなりウロウロしてしまいましたが、容保の墓へ行くのは右が正解です。

お…? 遠くに何か見えますね。

立札がありました。これは助かる! 「九代藩主 容保の墓」は左の道ですね。目的地が見えてきました。

ちなみにドラマで松平容保が登場したのは第一回のダイジェストを除くと第十四回(京へ到着)からとなります。清河八郎に異を唱え江戸に帰らず京に残ったものの幕府の後ろ盾がなくなった近藤たち浪士組。その浪士組の嘆願を聞き入れて会津藩の預かりとしたのが容保です。

松平容保を演じるのは俳優の筒井道隆さん。個人的には同じ三谷作品の「王様のレストラン」の原田禄郎のイメージがありますが、能天気な禄郎とは異なり、容保は京都守護職という要職の重責からか、幕府が蔑ろにされる現状に憂い憤り、朴訥(ぼくとつ)と語っている演技が多かった印象です。

また立札があり今後は右の道です。なかなか入り組んでますね。

うお。向こうに細く長く見えるのは階段、ですかね…?

急階段です。雪道も相まってなかなかに大変。なんの頑張るぞー!

何とか階段を登りきると開けた場所に出てきました。

左を向くと大きな碑石が並んでいます。どうやら向こうの端まで行くみたいですね。何か導かれているような感覚があり気持ちが高揚しました。ちなみに碑石の土台になっている部分は「亀趺(きふ)」と言って亀の形をした神獣で、お墓を守っているのだそうです。この時は気づいていなくて写真を撮り損ねたのが残念。

端まで行くと立札には「30m」の文字が。あと一息です。

最後の階段を登り…。

到着! あ、前方に見えるあれは…?

木々に覆われてますが「容保」の文字が見えます。やっと辿り着いたー!

「正三位松平容保之墓」。しっかりとお参りを済ませた後、大河ドラマの容保に想いを馳せます。容保の一番印象に残っているシーンは、やはり「近藤との初対面」でしょうか。

嘆願を聞き入れて貰えるか否か、どのような会話がなされるのか、平伏した近藤(と芹沢)に対し面を上げるよう促した後、近藤の顔をしばし見つめ、ふっと微笑みながら一言。

容保「励め」

いやー、痺れましたね。互いに尽忠報国の志を持ち、真面目、実直な性格の似た者同士。二人の間に一瞬で主従関係を超えた信頼関係が生まれた名シーンだと思います。

容保「余は決して逃げぬ。我が藩祖、保科正之公がお定めになった御家訓の第一条にこう記されておる『大君の儀、一心大切に忠勤を存すべし』これが余の生きる道じゃ」

忠義の君子、松平容保のお墓参りをすることができ、福島まで来た甲斐がありました。

ふと振り返ると静寂に包まれた院内御廟。入口から結構歩きましたね。ここに訪れる際は歩きやすい靴がおすすめです。ちょっとした山登りになりますので。

帰路の途中、建物が見えたので「何だろう?」と思った矢先、足が滑って尻もちをついてしまいました。幸い積もった雪がクッションになってくれたので大丈夫でした。

転んだ直後、立札がありました。「足元悪し」。はい、まさに。気を付けましょう。

拝殿。雪がきれいに屋根に積もって厳かな雰囲気を際立たせています。

さて、次の目的地、近藤局長のお墓がある天寧寺へ向かいましょう。

その他ギャラリー①(松平容保の墓(院内御廟))

インフォメーション②(近藤勇の墓(天寧寺))

近藤勇の墓(天寧寺)

・入場料:無料
・住所:〒965-0813 福島県会津若松市東山町石山天寧208
・開場時間:9:00-17:00
・休業日:なし

アクセス

・JR「会津若松」よりバスで33分「会津武家屋敷前」下車

注意事項

目的地までのルート②(近藤勇の墓(天寧寺))

実際のルート(写真付き)
  • STEP1
    会津若松駅

    ※バスに乗るまでは「松平容保の墓(院内御廟)」と同じ内容です

    会津若松駅の外に出ます。

    駅前の正面を真っ直ぐ行きます。

    「会津バス観光案内所」の看板が見えてきます。

    看板の裏を覗くと…。

    「会津バス駅前観光案内所」がありますので、ここで乗車券を買うことができます。ちなみにチケットを買わずともバス内で電子決済も可能です。

    案内所を回れ右すると「まちなか周遊バスのりば」が見えます。

  • STEP2
    まちなか周遊バスのりば

    まちなか周遊バス」は時計回りに市内を周遊する「あかべぇ」と、逆時計回りに市内を周遊する「ハイカラさん」の2種類があります。

    今回は「ハイカラさん」に乗って行きましょう。

    バスが来ました。レトロな雰囲気の車体と屋根に積もった雪がいい感じです。

  • STEP3
    会津武家屋敷前 停留所

    40分ほどバスに揺られて「会津武家屋敷前」で下車。

    バス停目の前の道を歩いて行きます。

    真っ直ぐ進みます。

    ここで右側の路地に入って下さい。

    路地を歩いて行きます。

    Y字路に出ますのでここを右に行きます。

    向こうに見える森まで坂道を歩いて行きます。

    坂道の突き当りに階段が見えました。

    「天寧寺」の看板が出ていますね。

    あと少しです。階段を登っていくと…。

  • GOAL
    天寧寺

    お疲れ様です。天寧寺に到着しました。

近藤勇の墓(天寧寺)

天寧寺(てんねいじ)本堂。近藤勇の墓はこの裏の山にあるとのことですが、さてどこから行くのか。

ここでも結構迷ってしばらくウロウロしてしまいました(笑)。皆さんは迷わないように、天寧寺本堂から向かって右側へ行ってください。

説明版の右脇に坂道がありますので登っていきます。

看板が出ているのでわかりやすいです。Y字路は左に。

左。こっちの道ですね。

暫くは看板の通りに進んで下さい。

少しずつ山道になってきました。

結構上まで登って行きますね。そろそろ着かないかな…。

土方「ここではダメだ!もっと上だ!」

ドラマスペシャル「新選組!! 土方歳三 最期の一日」で、近藤の墓を建てる場所を指示する時の土方の台詞が頭に浮かびました。

わかりました副長! この高さじゃ近藤局長が景色を眺められないですものね。

かなり上の方に登ってきました。会津若松市が見えます。

えーと…。あ、正面に案内板が見えますね。

もうそろそろ着きそう。

お、右手側にそれっぽいお墓が見えてきました。

ありましたー! 容保の院内御廟と同じで辿り着くまで結構歩きました。

手を合わせ、近藤局長にお参り。

劇中、墓前に手を合わせる土方たちの前に容保が姿を現します。基本的に眉間にシワを寄せた「仕事モード」のシーンが多い容保ですが、この時はすごく穏やかな顔をしていたのが印象的です。

『貫天院殿純忠誠義大居士(かんてんいんでんじゅんちゅうせいぎだいこじ)』

この戒名は松平容保の書とされています。

容保「あの男(近藤)のことを考えていたら、この字しか思い浮かばなかった」

確かに近藤勇らしい漢字が並んでいますね。ちなみに「大居士」は最高格の位号だそうで、「人の繋がりは時の長さではない」と語っていた容保ですが、近藤への慈しみと最大級の敬意が伝わってくるようです。

傍らには近藤勇辞世の句の碑がありました。そういえば以前訪れた「龍源寺」にもありましたね。

「快受電光三尺剣 只将一死報君恩」。「快く受けん 電光三尺の剣 只まさに一死を将て 君恩に報いん」

”副長土方歳三の手によって建墓された首塚と語り伝えられている”

近藤勇の一部はこの会津の地に眠っているのですね…。

近藤勇の墓の隣に、なんと土方歳三の墓もありました。この墓は大河ドラマ放映当時の2004年にはありませんでしたね(当時、放送の最後に流れていたゆかりの地の紹介では近藤の墓だけでした)。確かに近藤の墓に比べたら新しくてきれいです。

近藤の墓に寄り添うように建てられた土方の墓。雪解け水が墓の側面をつたって濡れていたのですが、

4つの水の筋の内、真ん中の2つだけいつまでも水が流れていて、まるで涙のように見えました。

ちなみに、墓の傍らにこんなボックスが置いてありました。

どうやら参拝記念に記帳できるノートとペンが入っているようですね。

もちろん私も記帳させて頂きました!

その他ギャラリー②(近藤勇の墓(天寧寺))

鶴ヶ城

さて、メインの目的地だった松平容保の墓(院内御廟)と近藤勇の墓(天寧寺)以外にも色々と観光してきたのでご紹介します。まずは鶴ヶ城(会津若松城)。

幕末の時代は会津松平家の居城となっていたそうです。

確かにドラマでは容保から斎藤一が名刀「虎徹」をこの鶴ヶ城で授かっていましたね。

容保「(近藤の)首は三条河原に晒されると聞いた。奪い返せ」

近藤の処刑を止められない無力さを嘆きながらも、自分が近藤にしてやれることを考える容保。漢(おとこ)です。

個人的に好きな容保のシーンは、近藤勇に対して永倉新八が反乱を起こし新選組が瓦解しかけた時に、容保が仲介して場を治めたところですかね。容保の「これにて一件落着」って台詞がまさに「お殿様」みたいで思わずクスッとしました。

会津武家屋敷

続いて会津武家屋敷です。

山南「会津松平家には家訓があって、徳川家が危機に陥ったときには死力を尽くしてお守りするようにと先祖代々伝えられてきたんです」

劇中、山南敬助が言っていたように松平家は「家訓(かきん)」を大事にしており、その「写し」がこの会津武家屋敷に保蔵されていると聞きました。

受付の方に確認したところ「ガラスの展示物以外は写真を撮っていい」とのことでしたが、入場料が有料(850円)だったのでブログに写真を載せるのは控えておきますね。

ちなみに「家訓」の写しは見つかりませんでした。私が見落としたのか、はたまた2004年当時の情報なので現在は保蔵されていないのか…。

武家屋敷の中にお土産コーナーもあって、新選組を模した野球帽がありました! 野球と新選組好きの私にはうってつけのグッズなので迷わず購入しました。ただ、お店の人から「被っていきますか?」と言われ、一瞬考えたのち「大丈夫です」と日和ってしまいました…(笑)。

武家屋敷内を観覧し出口に向かっているところ、「佐々木只三郎の墓」の看板が目に止まりました。え!?こんなところに佐々木只三郎の墓があるなんて知りませんでした。これは予期せぬ収穫です!

「幕府が結成した浪士組の取締役」と書かれていますね。浪士組は新選組の前身となる組織になりますので、近藤勇とも非常に縁のある人物です。

大河ドラマでは、京都見廻組を結成した後、同じ佐幕派同志でも新選組とは意見が合わず度々対立していました。清河八郎、坂本龍馬ら要人の暗殺に関わった人物としても描写がされています。

鳥羽伏見の戦いで負傷し数日後に死亡。幕府への忠誠心は全くぶれず、近藤と違う形ではありましたが己の義を通した武士でした。

白虎隊士十九士の墓

白虎隊のお墓にも行ってきました。

墓所までは階段を歩くか、有料のエスカレーターに乗って行くかになります。

『歩いたら本当に大変でございます』

軽やかにエスカレーターを促す自動音声に思わず苦笑。

この時点で20kmぐらい歩いていたのでエスカレーターは魅力でしたが、私は階段でいきます!

ふう…。何とか「白虎隊士十九士の墓」に到着です。

初見、白虎隊士の墓がズラッと横並びになっている光景に思わず圧倒されました。

新政府軍に敗れ自害を図った20名の白虎隊。この少年隊士たちの悲劇を見届けたのが松平容保だったのですね。

白虎隊自刃の地。

白虎隊士の少年像が何か遠くを見ています。

そう、鶴ヶ城を見ているんですね。自軍の城が燃えていると勘違いして自刃したと伝えられています。

少年像が見つめる方角の景色です。白虎隊の少年たちはどんな心境でこの景色を眺めたのでしょうか…。

余談ですが、珍しいカラーのセブンイレブンがありました。なんかカッコいい!

郵便局まで。歴史的な土地の景観に配慮してのことでしょうか。面白いですね。

旧滝沢本陣

最後は「旧滝沢本陣」です。

会津藩の本陣で、中には当時の弾痕(銃弾が当たった傷跡)が残されているんだとか。

残念ながら戸は閉まっていました。この時期は入れないのでしょうか。残念。

その他ギャラリー

最後に

初めての福島県。久しぶりの一人旅。

新幹線でお弁当。

喜多方ラーメン。

ドーミーイン宿泊(アメトーークで紹介していて行きたくなりました笑)。

そして夜泣きそば。連続ラーメンはご愛敬(笑)。

ゆかりの地を巡るだけでも楽しいのに、その他のことも楽しすぎて、これだから遠征はやめられない!

とらせいでした。

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