NHK大河ドラマ「新選組!」第24回「避けては通れぬ道」にて、放送の最後に「新選組を行く」で紹介された永倉新八の墓(寿徳寺境外墓地)に行ってきました。
この記事では永倉新八の墓(寿徳寺境外墓地)のインフォメーションや実際に最寄駅から歩いたルート、ゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。
動乱の幕末。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。
新選組一の剣の使い手とも言われた松前藩士の息子、永倉新八は維新後松前で医者の婿養子となりました。数少ない生き残りの隊士として77年の生涯を全うした永倉は新選組の活動の記録を残しています。そこには新見錦の切腹のいきさつなど幹部でしか知りえない様子が記されています。二番組長として活躍した永倉は甲州勝沼の戦い以後、近藤と対立し離隊します。しかし近藤の死を知ると慰霊碑を建てることに力を尽くしました。「自分が死んだら局長の眠る板橋へ埋めてくれ」、その遺言により慰霊碑の傍に分骨して墓が建てられました。一度は近藤と袂を分かつことになった永倉新八。新選組隊士であった日々を忘れることはなかったのです。
NHK大河ドラマ「新選組!」 新選組を行く「新選組の語り部 永倉新八」
インフォメーション
・入場料:無料
・住所:〒114-0023 東京都北区滝野川7-8-1
・開場時間:24時間
・休業日:なし
・JR「板橋」より徒歩1分
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目的地までのルート
- STEP1板橋駅
東口から外へ出ます。
東口広場を挟んで正面にもう見えます。第2城北ビルの斜め下辺りです。
- GOAL永倉新八の墓(寿徳寺境外墓地)
駅からすごく近いですね。到着です。
永倉新八の墓(寿徳寺境外墓地)
「寿徳寺境外墓地」。ここに分骨され永倉新八の墓が建てられています。他には北海道の小樽市中央墓地と札幌市里塚霊園にもお墓があるそうです。札幌は私の地元ですが、里塚霊園にもお墓があるなんて知らなかったです。ちなみに寿徳寺の本堂は、ここから徒歩13~15分のところにあります。
敷地内に入って左を見ると近藤勇の絵が刻まれた碑がありました。
右を見ると文化財としての説明板がありました。平成16年3月に設置されたようです。平成16年3月ということは、ちょうど「新選組!」の大河ドラマが放送していた時ですね。ドラマの影響で訪れる人が増え、説明板を設置したのでしょうか。
右から近藤勇、土方歳三、永倉新八の肖像画です。
永倉「俺は会津に行く」
近藤「勝手に隊を離れれば切腹だ!」
永倉「まだそんなことを言ってるのか。いい加減に目を覚ませ!」
大河ドラマで描かれた甲陽鎮撫隊敗戦後の二人のやりとりはすごく印象に残っています。お互い普段は使わない口調や文言でやり合う姿を見て、あぁ、もう和解はないんだな、と寂しい気持ちになった当時を覚えていますね。
「永倉新八の墓」です。
「融通の利かないところがある」と、大河ドラマで土方が芹沢鴨暗殺に加えなかったほど、曲がったことが大嫌いで、どんな時でも筋を通そうとする永倉新八。そんな魅力的な人物を、お笑い芸人の山口智充さん(DonDokoDon)が演じています。演技も上手くて、ホント芸達者な人ですよね。
ちなみに、漫画「ゴールデンカムイ」に、晩年の永倉新八が登場しています。見た目は好々爺ですが、本気を出すとめちゃくちゃ強いです。さすが新選組の副長助勤・二番組長を務めた神道無念流の使い手。我武者羅な性格で、「我武者羅」と「新八」を合わせて「ガムシン」と呼ばれていたのだとか。
奥には「近藤勇と土方歳三の墓」がありました。
近藤だけでなく土方の墓もあるんですね。大河ドラマで何かと対立していた土方と永倉ですが、原田左之助の結婚を永倉の家で祝うことになった時に玄関で気まずそうにしている土方に永倉は「遠慮せずに入ってくれ」と声を掛けたり、「今夜は鬼の副長と俺はゆっくりと飲みたいんだ!」と酒を注いだりと、こういう懐の深さも永倉新八の魅力ですね。
永倉の注ぐ酒を受けて、それまで険のあった顔が緩む土方、それを嬉しそうに見る近藤。個人的にこのシーン、地味ですがすごく好きです。
「新選組顕彰碑」。
そういえば顕彰碑は高幡不動尊金剛寺にもありましたね。
顕彰碑の隣には「近藤勇像」。
近藤と対立し新選組を離隊した永倉ですが、旧友が近藤の悪口を言った時は怒りを見せました。
「お前に何がわかる! 俺の前で二度とあの人の悪口を言うな」
袂を分かちながらも、根底では慕っている、絆を感じますね。
「近藤さんを悪く言えるのは苦楽を共にしてきたものだけだ。…俺だけだ!」
これが大河ドラマでの永倉新八最後の言葉です。数少ない新選組の生き残りとして、いずれ語り部となることを匂わせるセリフですね。
おっ?「近藤勇埋葬当初の墓石」…? 下を見ると…
当初はこんな感じの墓だったのか…。
「自分が死んだら局長の眠る板橋へ埋めてくれ」
永倉のこの一言があったおかげで、こんなに立派な境外墓地になったのですね。
その他ギャラリー
※画像をクリックすると拡大できます。
最後に
喧嘩別れをしながらも、晩年は新選組の汚名を晴らそうと尽力し慰霊碑まで建てた永倉新八。その義理堅さ、一本筋の通った気風は、終生変わらなかったのですね。
晩年は北海道の小樽で過ごし、地元紙では「新撰組 永倉新八」という題で永倉の口述による回顧録が連載されました。もし永倉の口伝がなければ、近藤はじめ新選組の汚名は晴らされず、今も悪行の人斬り集団として語り継がれてしまっていたかもしれません。
『昔は近藤勇の友達、今は小樽に楽隠居』
初回記事の見出しが茶目っ気があって好きです(笑)。
とらせいでした。
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