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【新選組を行く】ゆかりの地 伝通院

新選組

NHK大河ドラマ「新選組!」第11回「母上行って来ます」にて、放送の最後に「新選組を行く」で紹介された伝通院に行ってきました。

この記事では伝通院のインフォメーションやゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。

動乱の幕末。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。

浪士組結成の地、伝通院。ここに新選組の礎を築いた清河八郎の墓があります。文久3年(1863年)2月。将軍上洛の警護の募集に近藤勇を含むおよそ230名の浪士が集まりました。その浪士組の結成を提唱したのが清河八郎でした。清河という姓は故郷、出羽の国の清川村から取ったものです。江戸に出た清河は最高学府、昌平黌(しょうへいこう)に学び、北辰一刀流の免許を得て文武両道の塾を開きました。やがて尊王攘夷の思いを強め、その実現を図るため関東の浪士を束ねることを思いつきます。清河の尊王攘夷。近藤・土方の天下に名を成す夢。伝通院は様々な思いが集まった場所だったのです。

NHK大河ドラマ「新選組!」 新選組を行く「清河八郎と伝通院」

インフォメーション

伝通院

・入場料:無料
・住所:〒112-0002 東京都文京区小石川3-14-6
・開場時間:9:30-17:30
・休業日:なし

アクセス

・丸ノ内線「後楽園」より徒歩11分

注意事項

目的地までのルート

実際のルート(写真付き)
  • STEP1
    後楽園駅(丸ノ内線)

    8番出口から外に出ます。

    斜め向かいの横断歩道を渡ります。

    ビルとビルの間の路地に入ります。

    この不動産会社の手前の路地ですね。

    路地に入ったらつきあたりまで進んで下さい。

    つきあたりのT字路まで来たら右折します。

    ここから道なりに歩いて行って下さい。

    ここまで来たら今度は左折します。

    少し急な坂道、「善光寺坂」が見えますので、この坂を登って行きます。

  • STEP2
    善光寺坂

    おっと、看板も出ていますね。伝通院まであと少しです!

    坂の途中、「善光寺」がありました。…が、今回の目的地ではない為、通り過ぎます。

    この日は3月中旬でしたが、日差しが強くて良い天気です。

    まだまだ坂を登って行きます。結構長い坂ですね。

    おおー、大きな木。思わず立ち止まってしまいました。

    「文京区指定天然記念物 善光寺坂のムクノキ」。ほほ~う。

    電線の数がスゴイ(笑)。さて、先に進みましょう。

    こんな住宅街にお寺なんて…。…お? あれは…?

    見えてきたー! 伝通院のあれは…正門ですね!

    あ。ふと横を見ると本堂がフライングでチラ見え(笑)。

  • GOAL
    伝通院

    着きましたー! 伝通院! 立派な門構えですね。

伝通院

伝通院は浄土宗のお寺で、徳川将軍家の菩提寺として建立されました。これまでに多くの著名な人たちが埋葬されてきたそうです。

『浪士隊結成の処静院跡の石柱』。

『山岡鉄舟、鵜殿鳩翁(うどのきゅうおう)、伝通院に眠る清河八郎を中心に総勢一五〇人。その後、浪士隊を離れて、新選組と名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司などが平隊員として加わっていた。一行は文久三年二月八日、京都へと発った。年号が明治と改まる五年前のことであった。』

近藤たちの激動の五年間は、ここ伝通院から始まったんですね。

大河ドラマでも「処静院・大信寮」として出てきていました。近藤たち含め、大勢の浪士たちが幕府の話を聞くために集まっていた場所です。人が集まりすぎて後ろの方にいた近藤たちに清河八郎の声が聞こえない様子がリアル感ありました。

ドラマでは一癖も二癖もある浪士たちが結集してきました。粕谷新五郎、殿内義雄、根岸友山、祐天仙之助、そして芹沢鴨…。まるでスポーツ漫画か何かのようでワクワクしたのを覚えています(笑)。

地図がありました。「処静院跡」は、門の左手側…。

ありゃ。工事中のビルになってました。

気を取り直して、門を潜って中に入りましょう。

「伝通院本堂」です。この敷地内に清河八郎の墓があります。

清河八郎(きよかわはちろう)は出羽庄内出身の郷士で、劇中序盤では「虎尾の会(こびのかい)」を結成し、米国公使館通訳のヒュースケンを斬る命令を出すなど、過激な尊王攘夷派として登場しました。

「常に時代を見通している」、「戦国時代に生まれていたら天下を取っていた」等、周囲からその才覚を評価されていた清河ですが、自らの信念を貫き通すためには手段を選ばない狡猾な人物としても描かれています。

清河八郎を演じたのは俳優の白井晃さん。この方も三谷作品には欠かせない俳優の一人ですよね。目力のある方なので意志の強い清河役が映えていました。ちなみに個人的には「王様のレストラン」に登場するソムリエ「大庭(おおば)さん」のイメージが強いです。清河八郎もそうですが、白井晃さんはインテリな配役が似合います。

「王様のレストラン」の大庭さんは普段二枚目を気取っていても、時折三枚目なところをのぞかせる非常に美味しいキャラで大好きでしたが、「新選組!」の清川八郎ではコメディチックなところが皆無でちょっと寂しかったですね。三谷作品で終始真面目なキャラは珍しいと思います。

さて、清河八郎の墓を探しましょう。これは違う…。

ここも違う…。

何かすごい像があります。「指塚」…?

え…と、「日本指圧協会」! なるほど!

お、これは…? …うーむ、どうやら清河八郎の墓ではなさそうです。さすがに多くの著名人が埋葬されてきた伝通院ですね。色々な碑が建っています。

地図アプリによると、この建物の奥に墓地があるようです。行ってみましょう。

あ、ここだ! ありました! わかりやすく看板があって助かります。

清河八郎は幕府の力で集めた浪士組を攘夷の先駆けにしたいと最初から考えており、浪士235名の署名を勝手に集め、朝廷に「浪士組を朝廷のものとする」建白書を提出するという剛腕を見せました。いやはや…、こんな超展開がが史実とは。当時ドラマを観ていた時、そのドラマチックなストーリーに驚いたものです。まさに「事実は小説よりも奇なり」ですね。

ただこの超展開は清河一人では成しえず、幕臣の山岡鉄舟の協力もあっての大どんでん返しでした。清河は「生涯の友」と表現するほどに山岡を信頼していました。用心深い清河が自らの策略を打ち明けてるのですから、その言葉に嘘はないと思います。

そういえば山岡鉄舟は勝海舟とも良好な関係を築いていましたね。清川八郎や勝海舟などクセのある人物ともうまくやっていけるのは山岡鉄舟の人柄のなせる業なのでしょうか。

「近藤勇・土方歳三ら佐幕派と対立し、江戸に戻されその後暗殺された。」

ドラマでは幕府の刺客、佐々木只三郎に斬られその生涯を閉じました…。

その他ギャラリー

※画像をクリックすると拡大できます。

最後に

清河「私は死なない、天が私を望む間は私は死なない! (望まなくなった)その時は喜んでこの首差し上げよう」

近藤たち佐幕派と対立した清河八郎。ですが、彼もまた己の誠に準じて時代を生き抜いた一人でした。この清河八郎がいなければ、「新選組」も生まれることはなかったかも知れないと思うと皮肉なものです。

ちなみに浪士たちに建白書への署名を促す際、あの天邪鬼な芹沢をも納得させる清河の口上は見事でしたね。私の好きなシーンです。山岡鉄舟曰く「戦国の世に生まれていたら恐らく天下を取っていたであろうと言われています」というのもわかる気がします。もし清河が暗殺されずに明治の時代まで生きていたら…。今とは違った未来があったかも知れないですね。

とらせいでした。

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