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【新選組を行く】ゆかりの地 近藤勇陣屋跡

新選組

NHK大河ドラマ「新選組!」第48回「流山」にて、放送の最後に「新選組を行く」で紹介された近藤勇陣屋跡に行ってきました。

この記事では近藤勇陣屋跡のインフォメーションや実際に最寄駅から歩いたルート、ゆかりの地を巡った様子などをドラマの感想を交えながら写真付きで紹介します。

動乱の幕末。その歴史の一端を垣間見てはいかがでしょうか。

古くから醸造業が盛んな千葉県流山市。甲州勝沼の戦いに敗れ、再起をかけた近藤はこの地に本陣を置きました。しかし慶応4年(1868年)4月3日。不意を突かれた新選組は新政府軍に本陣を包囲されてしまいます。隊士の多くは1kmほど離れた光明院に分宿しており、近藤、土方は仕方なく武装解除に応じたのです。平成15年、流山で発見された文書には「僅かに交戦した後ついには降参した」とあります。近藤は切腹を覚悟しますが「ここでの割腹は犬死である」と土方に説得され、大久保大和(おおくぼやまと)の名で出頭し新選組存続の望みを託します。10代の頃からの盟友、近藤と土方。流山が今生の別れの地となりました。

NHK大河ドラマ「新選組!」 新選組を行く「近藤、土方離別の地 流山」

インフォメーション

近藤勇陣屋跡

・入場料:無料
・住所:〒270-0164 千葉県流山市流山2-122-3
・開場時間:24時間
・休業日:なし

アクセス

・総武流山電鉄「流山」より徒歩4分

注意事項

・修復工事中(2024年2月28日迄)のため陣屋跡を見ることはできません

目的地までのルート

実際のルート(写真付き)
  • STEP1
    流山駅(総武流山電鉄)

    表に出ます。

    駅前。正面の道を真っ直ぐ歩いて行きます。

    横断歩道を渡って真っ直ぐ行きます。

    道路に「スクールゾーン」のペイントが見えたら、そこを左折します。

  • STEP2
    万上通り

    「万上通り」を道なりに進みます。

    十字路に差し掛かったら、右折します。

    石畳になっている道を進みます。

  • GOAL
    近藤勇陣屋跡

    「近藤勇陣屋跡」の看板がありました! …ゴール?

近藤勇陣屋跡

「近藤勇陣屋跡」。いざ、甲陽鎮撫隊陣営の地へ…!

…って、あれ…? まさか…。

国登録有形文化財秋元家住宅土蔵保存修復工事

工事中~! 事前に調べることを怠った~! 「西郷・勝 会見の地」の時と同じ過ちをしてしまいました…。

工期は2024年2月末まで。工事が終わってから再度訪れ、その時改めて記事を更新したいと思います。

…とはいえ、このまま終わってしまっては怒られそうなので大河ドラマの感想でも。なんといってもここは近藤と土方の離別の地、流山ですからね。

甲州勝沼の戦いで敗走した近藤ら甲陽鎮撫隊は、再起を図るため下総流山に潜伏し調練を行っていた。しかし、新選組の近藤勇が流山に潜伏しているとの情報を入手した新政府軍は、薩摩藩士の有馬藤太(ありまとうた)を偵察に送りこむ。大久保大和(おおくぼやまと)と変名していた近藤らは有馬からの詰問に「賊討伐のために集まった者たち」と説明しその身分を隠す。何とか窮地を脱するかと思われた時、隠していた新選組の旗が有馬の目に留まってしまう。すべてを察した有馬は、別人として振る舞う近藤に、あえて近藤勇のことをどう思うか、近藤勇の言い分を訊く。

詳細はドラマで観てほしいですが、この後の近藤の返答が熱いんですよね。お互い目線を外しながら、あえて大久保大和として代弁する形で、近藤勇の想いを返答するところがかっこいい。この脚本・演出には痺れました。

武士として誇り高い近藤の返答に、素直に敬意を表する有馬。ちなみに有馬藤太は俳優の古田新太さんが演じていますが、ドラマ初登場の時の顔が怖すぎて、視聴当時「怖っ!絶対悪者じゃん!」と思ってしまいました。古田さん、ゴメンナサイ(笑)。全然真逆。聡明で実直。そう、まるで近藤勇のような男でした。有馬も「膝をつき合わせて酒でも飲みたい」と言っており、もし別の形で出会っていれば友好的な関係を築けたのかもしれませんね。その互いの立場ゆえのすれ違いが、もの悲しくあります。

このまま見逃そうとする有馬だったが、部下の1人が間違いなく近藤勇だと言い張った為、近藤は新政府軍本陣で取り調べを受けることになってしまう。

近藤勇とバレたら殺される―。

出頭するという近藤に、土方や隊士たちは猛反対する。生かすべきは新選組と考える近藤と、生かすべきは近藤あってこその新選組と考える土方たちは激しく衝突。新選組は大きな決断を迫られることになった。

陣屋跡の脇にお土産屋さんもありました。当然閉まっていましたが…。

「新選組グッズ有ります」とな。うう、残念無念…。

このイラスト可愛いですね。土方がちゃんと洋装になってます。

少し余談ですが、「大久保大和」に変名した近藤に倣って、土方も「内藤隼人(ないとうはやと)」に変名しました。大河ドラマで土方が「土方家に伝わる由緒ある名前だ」と言っていたので、ちょっと家系図を調べてみました。ちなみに土方家の家系図は、前に土方家を訪れた時に購入した資料本に書いてありました。

家系図を見ると、どれどれ…。おお、始祖の人物が「土方隼人」になっていますね。他にも様々な世代で「隼人」の名前を持つ人物がいます。土方が言っていたことは本当でした。

それにしても、見た目が「洋装」で、名前が「内藤隼人」と、かなり現代人に近くなりましたね。幕末という時代は空想やファンタジーではなく、間違いなく現代に続く「歴史」なんだと改めて実感しました。

その他ギャラリー

※画像をクリックすると拡大できます。

最後に

流山駅には流鉄流山線(切符を手動でカゴに入れる改札でビックリした笑)の「オムライス電車」に乗って行きました! 赤と黄色の車両でまさにオムライスですね。この日は2023年5月4日でしたが、2023年8月に引退したとのこと。引退前に乗れて良かった!

…と、ドラマの話に戻りましょうかね。

土方の説得により、生きるために大久保大和として取り調べを受け、大久保大和として生きて帰ってくることを決意した近藤。二人は抱擁を交わしますが、ここが土方と近藤の今生の別れとなりました。史実ですから仕方ないですが、残酷な運命ですね…。

別れ際、二人が浦賀まで黒船を見に行った時に、浜辺で拾ったワインコルク(近藤曰く戦利品)を眺めるシーンがあります。黒船に掲げられているフラッグ(国旗)を奪ってやろうと、近くにあった釣り船を漕ぎ出したところがここで回想されます。

私は以前書いた「ペリー公園」記事で、この釣り船は”日本とアメリカの歴然とした武力の差や動乱に巻き込まれて翻弄していく近藤たちの未来を示唆している”と考察しました。

土方「櫓(ろ)がねえぞ」

近藤「構わん! 手で漕ぐ!」

それと同時にどんな困難にも挫けない、近藤の意志の強さも表していたのかもしれません。

とらせいでした。

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